双寿会からのお知らせ

地震災害の安全度に自信あり

今年1月1日に起こった「能登半島地震」をきっかけに、豊寿苑にかんする自然災害リスクを検証しました。

住所検索ハザードマップ」よると、今後30年間に震度6以上の地震に見舞われる確率を判断基準にした愛知県の地震危険度ランキングで、小牧市は、69市区町村中、犬山市に次いで68位ともっとも地震に強い地域です。

なかでも豊寿苑は、小牧山を含む「小牧台地」と呼ばれる海抜25メートルほどの平坦な洪積台地上にあります。

濃尾平野の地形

濃尾平野の地形概念図「名古屋北部地域の地質」1984より Kは小牧山

市の西部に広がる沖積平野より一段高く、地盤が固い上、周辺に河川や山がないことから、ハザードマップでの洪水・浸水・土砂災害のリスクはゼロでした。

浸水ハザードマップ

十字が豊寿苑。「ハザードマップポータルサイト」より

浸水凡例

ちなみに令和元年(2019)に新築された小牧市民病院は一段低い沖積平野にあるため、地下水の湧出が止まらず、地下階を断念したとのことです。

地震ハザードマップでは、マグニチュード9・0クラスの「南海トラフ地震」が起きた場合の建物全壊率は1%未満
国内最大級の内陸直下型地震とされる明治24年(1891年)に起きマグニチュード8・0クラスの「濃尾地震」を想定した場合も、建物全壊率1〜3%未満ときわめて低い数値でした。

想定濃尾地震ハザードマップ

「想定濃尾地震の危険度マップ」より 令和3年 小牧市役所 市民生活部 防災危機管理課作成

建物全壊率凡例

当施設から約1km東の、同じく「小牧台地」上にあるイオン小牧店に、首都直下地震で千葉市の本社が被災した場合の本社代替拠点として「イオン小牧危機管理センター」が設置されていることからも、当地がいかに強固な地盤であるかおわかりいただけると思います。

今年度から、自然災害や感染症が発生した場合も、介護サービスを安定的・継続的に提供する必要から介護施設におけるBCP(業務継続計画)を策定することが義務化されました。
BCPの必要はいうまでもありませんが、上に述べた地域特性などを勘案せず全国一律の基準を課す国の姿勢には疑問を持たざるを得ません。たとえば、厚労省のひな形にしたがい、BCPでは施設外での避難場所を近隣の小中学校や市民会館にしています。しかし現実には、豊寿苑が損壊するほどの地震ならば、周辺の建物や道路網も壊滅しているはずで避難どころではありません。
監査対策としてのBCP策定も大事ですが、より大切なのは、いかにして利用者の安全を確保するかに焦点を当てた現実的なリアルなシミュレーションです。

今年度から、自然災害や感染症が発生した場合も、介護サービスを安定的・継続的に提供する必要から介護施設におけるBCP(業務継続計画)を策定することが義務化されました。

BCPの必要はいうまでもありませんが、上に述べた地域特性などを勘案せず全国一律の基準を課す国の姿勢には疑問を持たざるを得ません。

たとえば、厚労省のひな形にしたがい、BCPでは施設外での避難場所を近隣の小中学校や市民会館にしています。
しかし現実には、豊寿苑が被災するほどの地震ならば、周辺の建物や道路網も壊滅しているはずで避難どころではありません。

小牧市出身で、災害史に詳しい立命館大学環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授から以前、こういわれました。

震災が起きた場合、豊寿苑は避難先を考えるより、外部からの避難者の受け入れ先になった場合のことを考えたほうが現実的だと。

そうなったらそうなったで、そのための人員体制、医療・衛生備品、食料などの備蓄はどうすればいいんだと頭を悩ませたものです。

2024.05.10 |

こどもの日。五月晴れ。

こどもの日。五月晴れ。
豊寿苑では、毎年、1階食堂前の和室に五月人形を飾っています。

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「武者段飾り」

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上段左から「橋弁慶」「牛若丸」「勧進帳(弁慶)」下段左から「飾り馬」「鍾馗(しょうき)」

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後ろ「鍾馗幟」、上段左から「連獅子」「暫(しばらく)」下段左から「暫」「金太郎」

屋外では鯉のぼりを揚げています。
周辺でポールを立てて紐を使って揚げる鯉のぼりが見られるのはうちだけになりました。

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5月の青空によく映える鯉のぼり

 

五月の風にたなびく鯉のぼり

五月の風にたなびく鯉のぼり

 

2024.05.05 | 歳時記

『ミュージック・マガジン』5月号「クロス・レヴュー」で記事を書きました

『ミュージック・マガジン』2024年5月号

『ミュージック・マガジン』2024年5月号

わたしは2000年代初めから、今年創刊55周年を迎えたポピュラー音楽批評誌『ミュージック・マガジン』でワールド・ミュージックを中心に寄稿してきました。

しかし、ここ2年ぐらい、編集部が若返ったことで声が掛からなくなり、てっきり「卒業した」と思っていました。
そんなとき、ひさしぶりに編集部から2024年5月号での「クロス・レヴュー」依頼が来ました。

「クロス・レヴューとは、編集部がピックアップした話題の新譜7作について、4人の評者がそれぞれの専門をこえて短評と点数を付ける雑誌の名物コーナーです。

今回、割り当てられた7作は、ワールド・ミュージック、ジャズ、エレクトロ・ポップ、インディ・ロック、Jポップなど、多岐にわたり、ほとんどが初めて聴くアーティストやグループばかり。
自分からすすんで聴くタイプの音楽とは違うのでとても新鮮で素直に楽しめました。

音楽配信が主流になり、歴史的名盤からレア盤まで、膨大な量の音楽を手軽に聴けるようになったせいか、もしくは年のせいか、ここ数年、新録を聴きたいと願う気持ちが減退していました。
そういう意味で、「クロス・レヴュー」は、いい刺激になりました。

紙媒体にこだわってきた『ミュージック・マガジン』ですが、つい最近、「クロス・レヴュー」のみネットで閲覧できるようになりました。

「クロス・レヴュー」2024年5月号
https://note.com/mmrc1969/


ついでに、趣味の音楽とランニングを中心とした個人のブログも紹介させていただきます。
あわせてご高覧ください。

Running for Music – Music for Running
http://tpokjazz.blog.fc2.com

2024.04.18 | 音楽とアート

「石の城」としてよみがえった小牧山城

小牧山城の石垣整備工事のため、ところどころ立入禁止だった山頂部の歴史資料館の外周がこのたび開放。ひさびさに小牧山に朝ランに出かけた。

2024年4月13日 小牧神明社付近から見た小牧山

2024年4月13日 小牧神明社付近から見た小牧山

自宅から山麓に広がる帯郭(おびくるわ)を抜けて、坂を上った桜馬場まで約2km。
ここから山頂まで約1kmを5往復、約10kmの坂道走。

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ちょうど朝のラジオ体操に山頂をめざす人たちとかち合った。あいさつしながら駆け上がる。

頂上に来て、織田信長の築城時の石垣を再現したという、主郭(本丸)部分の生まれ変わった姿に心がふるえた。

20240413小牧山城

2024年4月13日 石垣整備工事後 画面左下の黒い岩が「転落石」

2022年4月30日

2022年4月30日 石垣整備工事前 画面下、ツツジに隠れた「転落石」

小牧山城の主郭部分が3段の石垣に囲まれた壮大な「石の城」だったとわかったのは、2013年(平成25)のこと。
わたしは発掘調査現場が特別公開されるときは欠かさず見に行っている(もちろん走って)。このとき、わたしの意識は460年前にタイムトリップしている。

2020年2月22日

2020年2月22日 主郭南面の発掘現場 「転落石」が見える

2024年4月13日 整備された主郭南面

2024年4月13日 再現された主郭南面の登城路

小牧山城復元イメージ図

画面中央あたりが登城路。階段は確認できていないそうだ 小牧山城主郭推定図

令和3年(2021)、織田信長時代の野面(のづら)積みの石垣をできるだけ忠実に復元する工事が始まった。
この復元プロジェクトがスタートしたとき、山下市長の発案で石垣の裏側に詰める裏込石に名まえやメッセージを書いて納める企画が始まった。

昨年度も大好評だったこの試み、じつはその第1回募集で、栄誉ある第1号になったのはわたしだ。

小牧山城復元プロジェクト参加記念証

小牧山城復元プロジェクト参加記念証

令和4年(2022)2月11日、午前6時47分にスタートして、大山川沿いを走って「市民四季の森」で折り返し小牧山に入った。
麓にある受付会場「れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)」にはすでに多くの人たちが並んでいたが、わたしはそこをスルーして頂上の受付会場まで一気に駆け上った。ジャスト20km。

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ときあたかも、ロシアによるウクライナ侵攻が懸念されていた時期だったので、裏込石に豊寿苑と家族のしあわせとともに平和への願いを込めて「平安」と書いた。
残念ながら、約2週間後の2月24日、ロシアはウクライナに侵攻した。

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小牧山はチャート(堆積岩)という硬くて風化しにくい赤っぽい岩石からできている。一部に混じる花崗岩は岩崎山から運ばれたといわれる。
信長は岩盤をそのまま生かしながら、足りない部分をおもに中腹の観音洞から切り出してきた岩石で補った。土で固めた土塁と堀が一般的だった当時にあっては画期的な「石の城」だった。

2024年4月13日 「石の城」として復元された主郭

2024年4月13日 「石の城」として復元された主郭

山頂までの道は、最近の改修工事によってほとんど舗装されてしまったが、かつては大雨のたびにデコボコになるオフロードだった。
けっしてラクではない勾配を駆け上がりながら、おそらく騎馬で上り下りしていたであろう若き日の信長に思いを馳せたものである。

2017年1月21日 改修工事中の主郭

2017年1月21日 改修工事中の主郭部分

訪れる人数でいうと、小牧山は名古屋城より多いそうだ。
これは観光目的ではなく、散歩のため、健康のため、毎日のように小牧山に足を運んでいる市民たちの数の多さを物語っている。

2024年4月13日 主郭部分北面

2024年4月13日 主郭部分北面

こんなにも市民から愛されている小牧山ってすばらしいと思う。

2024.04.16 | 歴史と文化

五条川花見ラン31km

令和6年4月6日 (土曜日) 曇り時々晴れ

毎年恒例の「五条川花見ラン」

今年は3年ぶりの介護報酬改定にあたり、昨年度末から多忙をきわめストレス・マックス。
そんなわたしにとって、早朝ランニングは体力維持はもとより、メンタル・バランスを保つために欠かせない習慣である。

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3時40分起床。4時43分にわが家をスタート。
小牧山経由で合瀬川沿いを南下。小牧市南西端の藤島までの6kmは胸のライトを点けて走った。

藤島の待合橋から「尾北自然歩道」に入り五条川沿いを北上。岩倉市に入る。

待合橋から見た五条川桜並木

待合橋から見た夜明け前の五条川桜並木

ここから石仏までの約3.5kmが五条川桜並木のハイライトだ。
橋の上に立つと、両岸からしな垂れる満開のソメイヨシノがずっと先まで続いている。

岩倉市の桜並木

手入れが行き届いた岩倉市の桜並木

ただ、夜桜鑑賞のためのライトが設置されていたり、屋台が出ていたりするのはいただけない。
といっても、わたしの場合、まだ薄明のことなので問題ない。

江南市に入ると、道幅が狭くなって、桜の花の咲きっぷりがおとなしくなる。
建物の数も少なくなり、まれに行き交うひとは、花見目当てというより、いつもの散歩といったたたずまい。
ちょうど桜越しに朝日が昇って、柔らかい日ざしが静かな朝の情景をもたらしていた。

朝日を浴びる江南市の桜並木

朝日を浴びる江南市の桜並木

岩倉市と同じく、大口町も五条川桜並木の整備に力を入れている。

町の中心地に近い花見スポットでは、河川はまっすぐに伸び、左右対称の護岸と桜並木が続く。
取って付けたような赤い橋が架かり、その手前には屋形船が浮かんでいた。
フランス式庭園を思い出した。
この風景、幾何学的で「きれい」だけど「美しい」とはいわない。

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大口町の幾何学的桜並木

むしろ、一面に広がる菜の花畑のほうが、朝日に照らされ美しかった。

菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

朝なのに「朧月夜」の歌詞が浮かんだ。

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おぼろの朝日に照らされる菜の花畑

対照的に、犬山市の桜の枝ぶりはもっとワイルド。
川のところどころに雑草が生い茂っているので、より自然に近い印象を受ける。
さしずめ英国式庭園だ。

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ワイルドな犬山市羽黒の桜並木

こうして五条川桜並木は、小牧市の藤島から犬山の長者町手前まで、約14kmにわたって続く。
このあと、羽黒・楽田・田縣神社・味岡経由で、いつもの広域緑道に入って小牧駅前まで10km。
トータル31km。

五条川からの帰路。春霞が幻想的

五条川からの帰路。春霞が幻想的。禅の水墨画を思い出す

素足にワラーチ(メキシコのサンダル)ばきでの花見ランは初めてだったが、20km以降、徐々に足底が痛くなってきた。
キロ平均5分32秒はすこし飛ばしすぎと反省。

ワラーチで走ると自然がより身近に

ゴール後、豊寿苑の満開桜の前で

8時前に帰宅すると、風呂とストレッチでじっくり筋肉をほぐす。
ようやく家族は動き出した。

2024.04.06 | マラソン

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