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Poison & Medicine ブログ 毒と薬

2010.9.30

介護社会論

福祉は何でいいこと?

小牧市内にある福祉や介護関連の19施設が集まって「夏休み中高校生体験学習」という事業をおこなっています。当苑も開設以来、多くの学生たちを受け入れてきました。これをきっかけに福祉の道を選び、なかには当苑のスタッフになったひとたちもおります。

「中高生体験学習」を主催し窓口になっているのが、小牧市社会福祉協議会のボランティアセンターです。夏休み後、生徒たちの体験文集を刊行し、それぞれの施設も800字程度の文章を寄せることになっています。

施設のプロフィールとか、生徒への慰労の言葉とか、当たりさわりのない文章が並ぶなかで、わたしは文章をつうじて、子どもたち、というよりもその親や学校関係者の人たちにむけて、「福祉体験の意義とは何か」についてたえず問い続けてきたつもりです。

ところが、昨年、わたしが提出した「福祉は何でいいこと?」が社会福祉協議会から書き直しを依頼されました。なんでも、福祉の未来を信じている生徒たちの希望をうち砕く内容で教育上ふさわしくないのだそうです。

福祉なるものをア・プリオリ(無前提)に正しいと信じてその道に進んだ素直で心やさしい若者たちが、行政なり、われわれのような施設なりに都合よく利用されるだけ利用されて、使い捨てにされてきた現実を見てきただけに、福祉がよって立つ土台と役割を理解しようねと呼びかけただけの他愛もない内容です。

「日本には政府ありて国民なし」と舌鋒するどく説いた福沢諭吉ならば、この文章をきっと評価してくれただろうと思いますが、市から社会福祉協議会に出向してきた人物や、ボランティアセンターに天下りしてきた元校長?には、たんなるかく乱因子にしか映らないようでした。

それから「生徒たちには難解すぎる」ともいわれました。素直に「自分には難解すぎる」といってもらったほうがわかりやすくてよかったと思います。よく子どもや障害者などの社会的弱者をたてにして、自分の感情をいいたてる「オトナ」たちがいますが、これと似たようなものでしょうか。

会議に同席していた他の施設の所長から「人を選んで法は説け」というニュアンスのアドバイスをもらいました。

あれから1年がすぎました。 そこで、以下では、ボツになった原稿と、感想を求められ社協に送った意見書を掲載させていただきます。

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『福祉は何でいいこと?』

ぼくがきみたちと同じ中高校生だったころ、「福祉」なんて大っキライだった。自分でもわかってないクセして「福祉はいいこと」と決めつけ圧しつけてくるオトナたちの態度が気に入らなかったのだ。ためしに「何で福祉はいいことなのか」って聞いてみてごらん。「弱い人をいたわるのはいいことだからいいこと」ぐらいの答えにならない答えしか返ってこないから。

ぼくはこう考える。現代の社会は資本主義といって、科学や技術がたえず進歩し続けることを前提にしている。そのためには人と人(会社と会社)とを競争させなくてはならない。当然、勝った方は負けた方よりいい思いをする。資本主義はこれをやむをえないと考える。

では、負けた者や競争に参加できない弱者は無視されてもいいのか? 答えは三つの理由でノーだ。

一つは、負けた側の息の根を止めてしまっては競争がなくなってしまう。これは資本主義にとっては致命的なことだ。

第二に、今日は勝てても明日も勝てるなんて保証はどこにもない。年をとれば体力は衰えるし、ケガをして戦えなくなることだってある。つまり、だれだって弱者になりうるということだ。

第三に、健全な資本主義は民主主義を前提にしている。「すべての人が対等な価値と自由を有する」という民主主義の基本が守られないと、資本主義というゲームは始める前から有利と不利ができてしまってフェアじゃない。その意味で、ハンディキャップのある人に対して国が責任をもって援助するのは当然の義務なんだ。

ことわっておくけど、働けない人たちだって、生活用品を買ったり、公共サービスを利用したりすることによって資本主義に参加しているんだ。だって、使う人がいなければ作ったり売ったりする必要がなくなって経済が停滞しちゃう。だから、堂々と胸を張っていればいいのさ。

このように「福祉」は、社会的な弱者といわれる人たちにとって必要というだけではなく、国のかたちが成り立つためにも欠かせないものなんだ。自分たちに都合がいいものだから、「福祉はいいこと」だなんて言ってるわけ。ヒューマニズムというキャンディの包みにくるんで。

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この流動化社会にあって、「前例主義」「事なかれ主義」という、いかにも「お役所」的な思考停止型スタンスをとり続けるボランティアセンター、いな小牧市社会福祉協議会には大いなる絶望感を抱かざるをえません。

「自明性」の底が抜けて、判断停止ではなく一人一人が選択を求められる(すなわち「再帰的」な)社会だからこそ、未来のある子どもたちに対しては自己の存立基盤について考えるクセを付けさせる。そうしたディシプリンを脳みそが柔軟ないまのうちにしておかないと、根拠を問うことなく前例をトレースして体裁だけを整えるという腐った「お役人根性」が身に付いてしまいます。

大人が推奨する形式論理をなぞるだけの、地に足のついていない表層の「ヒューマニズムごっこ」はそろそろヤメにしませんか? 「現実」を直視させて、そこから「理想」を構築していく感性を養ってあげることこそ、私たちの使命なのではないでしょうか?

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