
Poison & Medicine ブログ 毒と薬
2025.3.24
マラソン
東京マラソン2025覚書 その2
市ヶ谷、飯田橋、水道橋、神保町
午前9時10分の号砲でレースが始まるも、スタートラインにたどり着いたのはそれから15分後でした。
道路を埋めつくす大人数に混じって、靖国通りをゆっくりと東へ向かいました。
やがて神田川に突き当たると川沿いを市ヶ谷、飯田橋、水道橋へ向かい、神保町へ抜けました。

このあたりは学生時代からしょっちゅう足を運んだなじみの場所です。
古本やレコードを買いに行ったり、教授を囲んで花見をしたり、プロ野球の試合を見に行ったりした思い出がよみがえってきました。
そうです。
わたしは1981年から93年まで、19歳から32歳までの13年間を東京で過ごしました。
その意味で、東京マラソンは、わたしにとっては格別の、わが青春時代を再確認するためのイベントでもありました。

秋葉原、上野御徒町、日本橋室町
神田須田町で北へ進路を変え、秋葉原電気街を抜けて上野御徒町で折り返しました。そして、もと来た道を南下し、JR神田駅の高架下を抜けて、日本橋室町に入りました。

ここまでだいたい15km。
日本橋三越はじめ、昭和モダニズムのレトロな建物がひしめく中央通りのど真ん中から見た光景は、あまりに荘厳で美しく、サラリーマン時代に何度も来ているはずなのに新鮮でした。
これが体験できただけでも東京マラソンを走った価値があります。
そのまま南下して、首都高下の日本橋を通過しました。
江戸の中心の真上を高速道路が通るデリカシーのかけらもない場所ながら、4月中旬並みという異例の暑さにあっては格好の日よけになったことも告白しておきます。
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