Poison & Medicine ブログ 毒と薬
2013.8.18
歴史と文化
歴史あふれるランコース小牧山(第3回)
前回、解説した大手道は私のランニング・コースではない。小牧山での私のランニング・コースはいまのところ2つ。いずれのコースも自宅から西へ商店街を一直線に抜け、山麓の東から山を囲むように北へ帯状に広がる武家屋敷の曲輪(くるわ)跡に入る。曲輪とは、堀、土塁、石垣などで防御した平場のこと。
この帯曲輪の北東虎口(こぐち)から入って左、つまり南へ向かうと、土塁と堀で囲まれた一辺100mに及ぶ、ひときわ大きい曲輪のわきを通過する。山上の主郭が信長の私的な居住空間だったのに対し、こちらは信長の公的な御殿空間だったといわれている(写真1)。
帯曲輪を抜けて、市役所旧本庁舎東側の登山口に合流する。登った先に「桜の馬場」と呼ばれている信長時代に作られた広い曲輪跡がある。遊具が設けられ、桜のシーズンには大勢の花見客で賑わうこの場所を通り過ぎ、大手道を横切って西かららせん状に山頂まで続いているのが、こんにち「ランニング・コース」と呼ばれている昭和30〜40年代に整備された約1kmの道である。
緩やかな傾斜を西へ時計回りに登っていくと、「観音洞」(かんのんぼら)と呼ばれる広い曲輪が現れる(写真2)。その名の通り、間々観音(ままのかんのん)が顕現したと言い伝えられる場所である。
広場の奥のすこし小高くなっている場所にクスノキの立派な大木があることから、子どものころは「首吊り公園」と呼ばれる心霊スポットだった。
ルーマニア出身の宗教学者ミルチャ・エリアーデは何らかの聖なるものが顕れることを「ヒエロファニー」と呼んだ。「観音洞」に観音様が顕れたり、心霊現象がおこるのは、その空間が他の空間とちがうと感じさせる「しるし」を伴うためだ。この場合、「しるし」とは、おそらくクスノキの大樹のこと。クスノキの存在がヒエロファニーをおこし、この場所をある種「聖域」に変えているのだろう。クスノキは、エリアーデ流にいうなら「宇宙木」というところか。
クスノキといえば、幼虫がその葉を主食とすることからこのあたりはアオスジアゲハが多く見られる。なんでもチョウが通る道「蝶道」でもあるようだ。またエノキもあることから、ときどきタマムシも見つけられるという。
ちなみに、小牧山城の主郭の石垣に使われているチャートはここから切り出されたものらしい。
観音洞を過ぎると西からS字曲線を描きながら北へ坂を登っていく。「五段坂」と呼ばれている搦め手口からの登山道とぶつかるすこし先に、柵で囲まれた太い幹の常緑樹が現れる。タブノキである。このあたりでは小牧山のみに自生していることから市の木に指定されている。これにあやかって豊寿苑オープンのとき、庭園にタブノキを植樹した。
タブノキは、クスノキ科に属し、気候が温暖な日本各地の、とくに海岸近くに多く、神社の鎮守の森でもよくみられる。こうしたことから、民俗学者で国文学者、歌人でもあった折口信夫(おりくちしのぶ)は、タブノキは南方から漂着した日本人の祖先の記憶をとどめている聖なる木であると考えた。祖先たちはタブノキで作った船に乗って日本の海岸に漂着したからだという。この説にはあまり根拠が感じられないが、タブノキのようなクスノキ科の植物の強い芳香には、魔を退散させる効用があると信じられていたことはまちがいない。
このタブノキあたりが「ランニング・コース」の第1の難所とすると、第2の難所は北から東に回り込む頂上手前の坂道である。
ふだん私は胸に心拍数モニタを装着して走っている。私の年齢だと、これ以上高いと危険とされる心拍数はだいたい170。このコースを走るときは少なくとも3往復、だいたい5〜7往復にしているので目標心拍数を140〜155ぐらいにしている。ところが、上の2個所にさしかかると160を超えてしまうことも少なくない。後述する「五段坂」コースと比べれば、傾斜は緩やかとはいえ、それなりにはきつい。
早朝は山頂でのラジオ体操に登ってくる高齢の人たちでにぎわう。土日の朝は加えて犬を連れて登る人たちもよく見かける。ランナーも多いが混み合うことはまずない。おしゃれに着飾ったラン・ガールはあまり見たことがない。
(つづく)